「ストレンジャー・シングス」まだ観てない奴は3回まわってワンと鳴いて欲しい
やあやあ。
夏の暑さも峠を越して、秋の雰囲気が一気に大気に充満してきた今日この頃、皆さんいかがお過ごしだろうか。
当初週1くらい更新できるのでは?と思っていた当ゴミブログも、まあ忙しさにかまけてこんな更新頻度になりつつ、細々とたまーに書きたいことをかけている。
何より「書く」という行為は、とんでもなく労力を使うものだ。
日頃から文字を書いているとはいえ、なんとなく脳内を書き出すだけでもけっこう疲れる。
文字は人間が発明したものの中でも、最も優れた発明だったと聞いたことがあるが、なんとなく今ならそれが分かる気もする。
とか忙しい言い訳をしているだけで実はラグビーワールドカップも観てるし、しこたま酒を飲み散らかして遊んでるので、初手で大嘘かましてみた次第である。あ、騙されたろお前ら?あ?
さて、読書の秋だかスポーツの秋だか性欲の秋知らんけども、人は「〇〇の秋」と何かとつけたがる習性があるようだ。
東海オンエアも「あ、だいいっかい!〇〇の秋ってなんでも良くね選手権!!」とかやっていた記憶もなきにしもあらずである。
まあ知ったこっちゃないが、Netflixラバーズの僕からすると、ここに「Netflixの秋」説を一石投じたい所存である。
秋の夜長に最適なのは、ユーチューブよりも読書よりもNetflixであり、Netflixさえ見ていれば秋の長い夜も退屈しないのではないだろうか。知らんけども。
そんなこんなで、なんか究極にプッシュしたいやつないかなと思ってたところで、留学に行っている友人から当ブログ初の執筆依頼をもらった。
なんか愛がなんだ以来わけわからんことに読んでくれているコアな人が一定数いるらしく、こんなブログでも読んでくれているようだ。
そんな声を聞くたびに私は、感謝の正拳突きで音を置き去りにしたい気分になる。それが夢だ。
全裸監督の記事読んだのに、なんで見てないのかは謎極まりなく、なんとも憎たらしいが、まあNetflixで最高に推せる作品だし書いてみるかってことで、今日はストレンジャーシングスの記事としよう。
ストレンジャーシングスとは?
ストレンジャーシングスとは、アメリカ発のNetflixの超珠玉人気オリジナルドラマで、とにかくウルトラスーパー視聴されているシリーズだ。
概要とかあらすじとかを自分で説明するのは、なんとなく野暮なので、この辺でウィキペディアの概要をおもくそ引っ張って貼っておこう。
物語の時代設定は、80年代初頭。舞台は、インディアナ州の田舎町ホーキンス。マイク、ダスティン、ルーカス、ウィルの4人組は、いつも地下室に集まってはRPGゲームで遊んでいる仲良しキッズ。ところが、ある日ウィルが行方不明になってしまい、ふだんは閑静なはずの町は大混乱に……。
ウィルの母親のジョイスや警察は懸命の捜索を続けるが、手がかりは見つからない。そんな折り、マイクたちは、不思議な少女イレブンと出会う。町のはずれにある政府の研究施設から逃げ出してきた彼女は、テレキネシス(遠くの物体を自由に動かせる超能力)を操ることができ、どうやらウィルの居場所を知っているようなのだけど……!?
まあ要はSF作品で、1980年代のアメリカを舞台に超能力を持った少女イレブン(通称エル)を中心に、現実世界の裏側の世界から次々と現れる怪物たちをやっつけていくストーリーである。
ここで、おそらくSF作品に毛ほども興味がない輩は、どーせET的な、バイオハザード的なSomethingでしょ?みたいなこと言い出しかねない。
そういう輩にほど、私は3回回ってワンと鳴いてほしいのである。
確かに、ストレンジャーシングスは怖い、グロいシーンは意外と多く、なんとなく見たくないなあ。と思ってしまう人も多いだろう。
しかし、この作品の面白さはアクションシーンでもなければ、怪物をぶっつぶすシーンでもない。
ストレンジャーシングスの面白さはもっと別に存在する。
ストレンジャーシングスのみどころ
ストレンジャーシングスの見所は大きくまとめると、以下の3つである。
有り余るコメディ要素
ストレンジャーシングスは、仮にも怪物が出てくるので「怖い」とか「グロい」とか、怖すぎて途中までしか見れなかったなんて人も多い。
実際私も1年前に友達に勧められた時は、1話の最初だけ見て「いやちょっと怖めなやつかなこれ」と思ってやめたくらいである。まあ怖いのもともと苦手なのもあるかもしれんけど。
ただ、これまた勘違いしがちなのだが、ストレンジャーシングスは意外と怖くないし、結構笑える明るい要素が多い。
(左からウィル、マイク、ダスティン、ルーカス)
基本的にストーリーは、上の4人が中心となって話が進んでいくが、またダスティンがいいキャラしてるんだなこれが。
サイエンス好きで、なんか絶妙に可愛いし、アホっぽいところがあって、ダサい。
ちょこちょこ彼らが喧嘩したり、ゲームしたり、謎に迫って危険を犯したり、そんな彼らちびっこたちの奮闘加減は、まるでアメリカ版春日部防衛隊とか言っても言い過ぎではないだろう。
個人的に1番好きなコンビは、この2人。
2人はシーズン2から交流が増え出し、シーズン3ではほとんど一緒に行動してストーリーが進んでいくので、ほぼバディのような存在だ。
年の差は結構あるが、2人のなんかちょっとうだつ上がらない感じが、なんか憎めないし、掛け合いがスーパー面白い。
WIREDのYouTubeでクイズに答えているところを見ても、2人はカメラが回っていなくてもとっても仲良し。
2人がいないストレンジャーシングスなんて、ライスがおかわりできない家系ラーメン屋くらい悲惨だ。
そのくらいなくてはならない存在なので、本作品を観る際は、ぜひ注目して欲しい。
ミステリーの伏線回収
かのアリストテレスはこう言った。
「人は生まれながらにして知らんことを欲す」
何かを「知りたい」という感情は誰もが持っている普遍の感情であり、それは時に強大なエネルギーにもなり得る。
ドラマにハマる上で、重要な要素はやっぱりミステリーである。
今年の「あな番」フィーバー然り、やはりヒット作を語る上で「謎」の存在は、欠かせない。読者の想像を掻き立て、作品に引き込ませる効果は絶大なのだ。
ストレンジャーシングスでも、もちろん謎の効用は抜群に働いていて、ミステリー要素はシーズンごとに出現する。
シーズン1では、怪物とは何なのかみたいな謎、シーズン2では、なぜまた怪物が出てきたのかの謎、シーズン3では、なぜソ連が関わっているのかの謎、などシリーズごとに謎の主題は変遷していく。
技法的にめっちゃうまいなと思うのは、やっぱあそこがああなってたのか!みたいな謎の回収要素だ。
何で?があとで実はああで・・・みたいなのってやっぱ何だろう、たまらなく中毒性がある気がする。
仲間や家族との絆
まあここはあんま言及することは少ないが、みどころであることに間違いはない。
ウォーキングデッドを友人から勧められた時に、「ウォーキングデットはゾンビを倒すのがおもろいんじゃなくて、仲間とか家族とかのヒューマンドラマなんだよ!」と力説されたことがある。
ストレンジャーシングスも、普通に人は死ぬし、毎シリーズ誰かいなくなるので、そう言った人間味も味わえるところもみどころの1つだ。
ちょっと雑だなここ
番外:マックスは推せる
まあマックスは推せる。強烈にプッシュしたい。
マックスはシーズン2で出てくる女の子なんだけど、気の強いファッショナブルな感じがとってもキュートな女の子。
結構周りにはファンが多いので、男性諸君は以外と好きな感じなんじゃないかなあと、思ってみどころ勝手にランクインである。
まあダスティンもまじで好きだけどなあ。
まあ大人しく見てみてくれや
ちょ、後半クソ雑ではあるが、今から中華料理屋に行かなくてはならないので致し方ない。ああ時間がない。
まあこの記事が伝わったかどうかは私にとって重要ではない。伝えようとすること、この作品を伝えたいと私が思ったことが重要なのだ。
まあまだ見てないやつは、大人しく見てみてくれや。多分3話くらい見たらハマると思う。
この記事を読んでしまったあなたは、この機会にストレンジャーシングス、シリーズ一気見してみてはいかがだろうか。
ではまた。
『全裸監督』ガチで面白いからNetflix契約者全員見た方がいいよ
Netflixが好きだ。
これまであまたの作品を観てきたが、Netflixの邦画作品であまりグッとくるものはなかった。
『セックスエジュケーション』『ストレンジャーシングス』『タコスのすべて』など、そのすべてが洋画作品である。
と、思ったら大好きな『テラスハウス』を忘れていた。あれ邦画やん。序論から台無しだ。
しかし基本的に一筆描きで書くと決めているので、こういうのもまた一興である。
そんなNetflixファンから圧倒的な評価を得ている作品がある。
そう、それが『全裸監督』。
主演が山田孝之という時点で、もう素晴らしいのに、満島真之介、玉山鉄二、リリーフランキー、ピエール瀧など、個性派俳優大集合。
そして、ヒロインには『1週間フレンズ』『賭ケグルイ』などに出演した、森田望智が抜擢。
豪華俳優陣で、描くのは80年代のAV業界黎明期を盛り上げた、AV監督西村とおるとAV女優黒木香のストーリーだ。
概要をざっと理解してもらうために、あらすじ的なのを貼っておこう。
バブル景気にわく1980年代の日本を舞台に、“アダルトビデオの帝王”と称された村西とおるを、本橋信宏「全裸監督 村西とおる伝」(太田出版)を原作[2]としながら、虚実交えて描いたドラマ作品[3]。制作期間に2年半をかけ、ストーリーとしてはアダルトビデオの誕生と警察との対立。村西の破天荒でエネルギッシュな生きざま、村西の人生を変えることとなる黒木香の立志を描く。
Netflixでは、ドラマの『イッキ見』を信条としているため、ドラマ作品は、基本的にシリーズ全話が一気に上がる。(テラスハウスは別)
最初は、僕も「まあ試しに見てみるか」くらいの感覚で1話だけ見てみた。しかも0時くらいに。
そしたら、まんまとNetflixマジックに引っかかってしまった。
「え、やっば続き見たすぎ」「え、ちょさすがに次見たい」
あれよあれよ言う間に、気づいたら朝になってしまっていた。5話くらいイッキ見したことになる。
作品を通しで見て思ったことは、ただのAV映画かと思っていたが、実はサクセスストーリー系の物語であるということだ。
こういうなんかエッチな作品は、総じてただのAVシーンがダラダラ続いたり、無駄に長かったりして、観てる途中で
「いや、これだったらもう逆にAV見るわ」
と思うことが大半である。(『アメリカンテラスハウス』っていうクソAV映画があるから男性諸君は是非見て欲しい)
こういった映画に欲しているのは、ただのエロさではなく、ストーリー的な面白さだ。いやエロさもいるけど。
そういう意味で、この『全裸監督』は全く意味を履き違えていない。
何が面白いのかマジでちゃんと分かっている。
見終えたあと、どっちかというと
『ウルフオブウォールストリート』に近い感じがした。
何も持っていない者が、王者に成り上がる。1番気持ちいいタイプのサクセスストーリーだ。
ワンピースとかドラゴンボール的な面白さであるとも言える。友情努力勝利的な。いやちょっと違うけど。
とにもかくにも、本質を見失ってない感じが、また推せるポイントであることは間違いない。
また、この作品では『女性の社会的な地位』についても着目すべき点が多い。
80年代といえばまだまだ日本では女性の社会地位はそこまで高くなかった時代。
今でこそ、明日花キララや、紗倉まななどのAV女優が普通にTV番組に出演しているが、当時はAV女優といえば、あまり表には出ない存在だった。
しかし、そんな中で、奇才村西とおるに惹かれ、世間に性に対して解放的になることを自身を通して主張した黒木香の女性としての生き様にも注目すべきだと思う。
ただ、残念なことに、本作品は、著書『全裸監督 西村とおる伝』を元に作成されており、著作権等の問題は、黒木さん側には確認を取っていないということが、先日SPA!の取材で明らかになった。
本人の了承等無いまま、作品が放映されているのは非常に残念なことだが、彼女は一体どう思っているのだろうか。今後の展開に注目したい。
「人間の性欲を売りたい」そんな男のアイデアから始まる快進撃を、この記事を読んだNetflix契約者全員に声を大にしておすすめしたい。
ではでは。
映画「愛がなんだ」を見たら病んだって話
昨日、住んでるシェアハウスの友達と映画「愛がなんだ」を見てきた。
公開前からInstagramで、成田凌やばい!楽しみ!みたいなストーリー載せてる女子が大量発生しており、「そんなみんな言ってるなら気になるなあ」と思い、YouTubeで予告編を検索してみた。
流れてきた予告を見て、確かにみんなが期待値を異常に上げている理由がすぐに分かった。
もう予告から切なさというか、なんか幸薄そーみたいな感じがプンプンするし、成田凌はクズ男っぽくってなんかそれはそれでいいし、岸井ゆきのの「こーゆー女いるよね」感がエゲツなく、なんとも言えない「良い映画感」を漂わせている。
「これは流石に映画館で見るしかねえ」
そう思っていた。
ただ、この映画はどう考えても男同士で観に行くもんじゃないだろという懸念点はあった。
普段、映画を観に行くといっても、だいたい5歳から友達の幼馴染か、哲学科のヤニカスギャンブル狂いイケメンの友達くらいしかいない。
今の所、彼女もいないし(ちな彼女と観に行かない方が良いと思う。まじで。)、女友達も彼氏いるし、誰誘うべきか分からんがやーと頭を抱えていた。
そんな時、ちょうどシェアハウス管理人のまるちゃん(27歳関西人女)が「愛がなんだ観に行きたいわー」と呟いたので、問答無用で観に行くぞと誘い、もう1人住人のめいちゃん(27歳女)を誘って3人で行くことになったのである。
道中、2人とも成田凌好きという事もあってか、めっちゃワクワクしていた。
かくいう僕も良い映画っぽそうだったし、なんか映画館行くの久しぶりだったのでワクワクしていた。
しかし、帰りの車内のテンションが行きより5割減する事をこの時はまだ知る由もない。
映画館に行くと、平日の夕方という事もあってか、制服を着たJKがわちゃわちゃと数人で観に来ていたり、1人で観に来ている自称映画好きを名乗っているであろう、おじさん、おばさんも多かった。
ドリンクとチキンナゲットを買って、何でチキンナゲットやねん!とかつっこまれながら、年甲斐もなくJKに負けじと、3人ともきゃっきゃしていた。この時までは。
映画はいきなり岸井ゆきの演じる照子が電話をしているシーンがドアップに映し出されるところから始まる。
『愛がなんだ』どんなストーリーかよく分からない人のために、公式HPのあらすじを貼っておこう。
猫背でひょろひょろのマモちゃんに出会い、恋に落ちた。その時から、テルコの世界はマモちゃん一色に染まり始める。
会社の電話はとらないのに、マモちゃんからの着信には秒速で対応、呼び出されると残業もせずにさっさと退社。
友達の助言も聞き流し、どこにいようと電話一本で駆け付け(あくまでさりげなく)、平日デートに誘われれば余裕で会社をぶっちぎり、クビ寸前。
大好きだし、超幸せ。マモちゃん優しいし。だけど。
マモちゃんは、テルコのことが好きじゃない・・・。
角田光代のみずみずしくも濃密な片思い小説を、“正解のない恋の形”を模索し続ける恋愛映画の旗手、今泉力哉監督が見事に映画化。
テルコ、マモちゃん、テルコの友達の葉子、葉子を追いかけるナカハラ、マモちゃんがあこがれるすみれ…彼らの関係はあまりにもリアルで、ヒリヒリして、恥ずかしくて、でも、どうしようもなく好き…この映画には、恋のすべてが詰まっています。
・山田照子(岸井ゆきの)
・田中守(成田凌)
・坂本葉子(深川麻衣)
・中原青(若葉竜也)
主要な人物構成はこんな感じ。
主人公の山田照子が田中守のことが狂気的に好きなんだけど、田中守はクズ男で、特に付き合いもしないし、都合よく照子を使っている。
坂本葉子は、照子の友達で、照子の相談にめちゃくちゃ乗る。田中守のことをイかれてるからやめろとアドバイスしてるけど、中原っていうカメラマンを都合よく使う女。
みたいな構成で成り立っている。
なんかこう、全体的なストーリー的にも非常に幸が薄いのが開始15分くらいでよく分かる。
そういえば上映開始前に、愛がなんだを観に行っている事をストーリーにあげたら、何人かの友達から、「あ、それ観たよ。病んだ。」とか、「おもんなすぎて途中で寝た。」とか不安になる感想テンコ盛りで送られてきた。
まあ病むのかなと覚悟はしていたが、寝るのは流石に無いでしょ。と思った。
しかし、確かにセリフの一個一個の間もめっちゃ長いし、しょーもない話がだらだらとワンシーンで何分も続く。
確かにこれは疲れてたら寝るわなあ(特に男は共感度低いと思う)と思いつつ、ぼんやり観ていた。
「なんか共感できるポイントほとんど無いな・・・照子メンヘラ過ぎてイライラするし、なんか虚無感がひどい。なんだこのモヤモヤは。」
終盤に入っても、僕はずっとそんな感想だった。
他の人どんな感じの気分で観てんのかなー?2人ともどんな感情なんだろこれ大丈夫か?と思ってパッと横を見た時に気づいた。
え?2人とも泣いてる・・・
いや待て待て分からない。なぜだ。何が刺さって泣けるんだこの映画で。
確かに2人とも普段から、感受性は豊かだ。めいちゃんも割と泣くし、まるちゃんに至っては、月が満月だったり、海が綺麗だったりすると泣き始めたりする。ちょっと毎回ビビる。
にしても、そんなポイントあったか。2人が20代後半女性であるから泣けるのか。自分がまだ子供だから泣けないのか。あれ?これ俺がおかしいのか?
色んなことを自問自答しつつ、映画は終わった。
映画が終わって、「確かにこれは病むな」と変に納得した。
なんか気持ちが重くなった。確かに愛ってなんだ。って考えさせられる部分はあったけど、刺さったというより、病的な気分になった。
隣の2人を見てみると、始まる前のテンションが100だとしたら、20くらいに下がってしまっている。僕もつられて17くらいのテンションだったと思う。
ほとんど会話しないまま映画館を出て、車に乗った。
帰路で2人に「映画のどこに泣けるポイントあったの?」と聞いてみた。
そしたら、やはり変に主人公の照子のセリフがグサグサ刺さるらしい。
「『好きです』とか『付き合ってください』とかじゃなく、20代後半の恋愛は、こんな風にもっとダラダラ始まるものだ」
「32歳以降のマモちゃんの世界に私は描かれていなかったどころか、その後数ヶ月連絡もなかった」
「愛?何それ?」
まあこれ以外にも色々あったらしいけど、自分と主人公の照子を重ね合わせて見てしまって涙が止まらなくなってしまったらしい。
2人とも基本的に強い人だし、面倒見も良いし、僕より大人だ。
20代も後半にもなると、20代前半の僕と比べても、経験値が違うので感じるものも違うんだろう。
ひょっとしたら、僕とタメくらいの人には、まだ分からない、20代後半ならではの、悩みとか葛藤とか、そういったものに共感したのかもしれない。
ただ、なんとなくそんなことを考えながら、自分は20代後半になっても感受性薄そうだなあと思ってしまった。
「病む」「気持ちが重くなる」・・・そんな症状を実際肌で感じてみたい!もしくは、なんか重くなりたい気分!みたいな人は是非とも映画館に足を運んでみてはいかがだろうか。
それでは。
はてなブログを始めました。
こんにちは。
この度、はちみつのアカウントではてなブログを始めました。
はてなで書くの初めてなのでなんかおもろいですね。
なんか誰か1人くらい読んでくれるんじゃね?という期待を持ちつつ、やらなきゃいけないことがあるのに思考を垂れ流しています。
なんでブログ始めたの?と言う質問に答えるために、このタイミングで謎にはてなブログを開設した要因を最初の記事としたいと思います。
理由はまあ3つにしておきましょう。
- どーでもいいことが書きたくなったから
- SEOへの理解を深めるため
- 「note」へのアンチテーゼ
とりあえずこの3つが理由です。
1.どーでもいいことが書きたくなったから
1個目の理由はクソどーでもいいことが書きたいなあと思ったからです。
僕は、来年からWeb系のフリーランスとして独立しようと決めているので、普段はWeb関連の記事を書いたり、サイトを若干いじったり、Webサイトのディレクションをする仕事が主な仕事になるかと思います。
仕事で書く文章は、SEO(Search Engine Optimization)という、偉大なるGoogle先生が作ってくれた黄金則に則って文章を書いたり、サイトを設定したりしなければなりません。
この技術をSEOライティング/マーケティングと言ったりするのですが、これが非常に機械的かつ商用的な文章なわけです。
もちろんこれはこれで楽しさを感じているのですが、そんな文章をずっと書いていると、「うわくそどーでもいいこと書きてえ」ってなってくるんですよね。
Google先生は、「ユーザーにとって有益な情報を提供すること」を信条としているので、それなりのことをしないと、評価してくれないんですね。
それなりのことをすると、確かにいいコンテンツにはなるのですが、まあめんどくさいし、堅苦しいし、クソほど考えることがあるわけです。
こんな作業を毎日やってると、もうなんか
「うんちとかちんちんとか適当なこと書いてやろうか?ああ?ええ?おい」
って気持ちになってくるんです。分かんないと思うけど。
つまり、そう言う感情の吐け口的なのって必要だと思うんですよね。わかんないと思うけど。
実際僕自身、WordPressでブログ一個と、サイト一個保有してるんですが、これ2つともガチガチで収益化目的で書きたいので、そういうこと書けないんですよね。
一筆書きで書いてるから、まとまらないけど、なんかこういう理由です。はい。
はちみつさんとして書きたいなと思っています。はい。
2.SEOへの理解を深めるため
2つ目の理由は、SEOへの理解を深めるためですね。
なんかこれは非常に逆説的な動機です。
たまに、SEOを意識して本気で文章書いてるのに、
「ああ?なんでこれがこんな評価されとるんじゃ?アホか◯oogleなにしとんじゃ」
って思うのがあるんですよ。
でもそれってなんで上がってるかって、Google先生に評価されてるからなんですね。
なんかふざけてんのに、しっかりユーザーに有益な情報が入ってたら、それはそれでめちゃくちゃいい文章ってことになる訳で。ユーザーも読みたいですよね。
そういう文章って、分かんないんですよね何で上がってんのか。
だからなんか日記とかつぶやきみたいに書いてく中で、もしかしたら、そういう記事が上がってくるかもしれない。
そう思って、検証のためにもなんかガチじゃないブログを書くのが必要だなと思って開設した訳です。
3.「note」へのアンチテーゼ
ちょ、あと10分で中華料理屋に行かなきゃいけないので、急ぎで書きますが、3つ目は、noteへのアンチテーゼです。
最近ライター界隈で流行りのアレですね。見たことない人も多いかもしれないけど。
なんかめっちゃお洒落なんですよ簡単に言うと。ブログめっちゃお洒落版みたいな感じですね。
でもなんか確かにそれでもいいんですけど、なんか僕のマイノリティ精神的にnoteで文章を書くのは許されないな。と思ってしまったんですね。
だったら、なんか古き良きはてなブログで今書いたら、逆にクラシック感でていいんじゃね?みたいな感じで、はてなでブログをへこへこ書いてみようと思った次第です。
あ、3つで終わると思ったら4つ目あった。
4.ブログって渋くね?
これだけSNSが発達してきた現代において、ブログやってる人って、結構稀だと思うんですよね。
ブログってなんかもう古いでしょ?書いてんのダサくね?みたいな風習がある訳です。
しかし、webの文章に関わるものとして、なんかそれ悲しいんですよね。
確かに、今やテキスト→動画の時代って言われています。
流行っているYouTubeもInstagramもTiktokも、全部動画のアプリですよね。
ガラケーの時代には処理能力的に無理だった動画が、スマホの登場で圧倒的にスイスイ再生できるようになったことで、動画は一般的になり、はてなやアメブロ、と言ったブログ文化は淘汰されていきました。
しかし、ガラケーを使っていたことがある人は分かると思いますが、昔はミクシイと前略とか、アメーバとかでブログ書いてたわけですよ。メールで文章送り合ってた訳ですよ。
( ´Д`)y━・~~とか、♪( ´θ`)ノとか、今やダサいと言われかねない顔文字をiPhoneが普及するまで使って、堂々と「やばぃもうリスカしょ・・・・」とかメンタルへららせてた訳ですよ。
なんかそう言う文化に温故知新的な、古き良き的な、1周回ってもはやかっこいいんじゃね的な感覚を目指していきたいわけですね。
SNSは確かにすごいパワーがあるし、拡散力があるけど、ブログはストックコンテンツなので、流れないし、溜まっていく強さがある。
そこに、終わりゆく何かに可能性を感じている訳です。マイノリティ精神爆発ですね。はい。
つまり、ブログって逆に渋くね?って思ってる感じを逆に共有できないかなと思ったのが、4つ目の理由です。
まあこんな理由で、訳わからないことを書くために、日々脳内の思考を垂れ流す用のはてなブログにしていけたらなと思っています。
以上!!